世田谷区の作業所の流れと現状〜障害者自立支援法への対応も含めて

世田谷区の作業所はどのように作られてきたのでしょうか。また、障害者自立支援法の施行などを受けながらどのように変わっていくのでしょうか。基礎的な資料として、今までの流れと現状、さらにこれからについてまとめてみましょう。

最初は作業所の数が少なかった

精神病の患者さんは、昔は入院するとなかなか出られませんでした。病院で患者さんの人権を無視した事件や不祥事が社会問題になったり、薬も良くなったりして次第に退院しやすくなりました。かといって、就労のチャンスが多いとはいえず、患者さんが家でごろごろすることになってしまいました。そこで、昼間の居場所として多少お小遣いも稼げるようにと知的障害者や身体障害者の作業所を真似て、精神障害者の作業所ができてきたのです(昭和60年前後)。日中、企業の下請けの作業をすることにより、多少の工賃をもらうという場がほとんどでした。

数の増加と交流の必要性から連絡会の結成へ

世田谷区には、松沢病院、梅丘病院、昭和大学烏山病院などの精神病院が多く、都立中部総合精神保健福祉センターなどもあります。退院してくる患者さんの数が多く、家族会、保健所、病院系列といろいろな運営主体で平成2年までに5つの作業所ができてきました。
しかし、ほかの作業所が何をやっているのか、お互いにわかりませんでした。そこで平成2年に世田谷区精神障害者共同作業所連絡会(世作連)が発足しました。合同で区への要望書を提出するのが初期の目的でしたが、同時にお互いの作業所について作業内容や職員の労働環境などについて情報交換がなされるようになりました。平成3年から世作連は、毎月1回定期的に開かれ、職員同士はお互いに顔見知りになってきました。平成5年からは、作業所に所属する利用者同士の交流も持とうと、食事会やスポーツ大会、日帰りバス旅行などの交流会を企画したりもしました。

新しい作業所を作ろう⇒しだいに作業所同士の分業へ

このころから新しいタイプの作業所ができてきました。バブル景気もはじけ、不況となり、下請け作業にはかげりが見えてきました。一方、作業所では利用者の創造性や自己実現を重視しようという考えも生まれてきました。そこで、藍染めやお菓子などの自主製品を主たる作業とする作業所や、喫茶店経営をする作業所ができてきたのです。
また、ひとつの作業所の中にも、「作業所は社会復帰の一段階として、その後一般就労や学業復帰を目指す利用者」と「作業所は長く利用したいが、多くの工賃や作業での仕事に満足を得たい利用者」と「作業はゆっくり行いながら憩いの場所として作業所を利用する利用者」がいることが、どの作業所でも次第に問題になってきていました。そこで、利用者のニーズに合わせた新しい作業所を作ろうという動きも出てきたのです。たとえば、若者だけの作業所や就労援助プログラムを提供する作業所、高い工賃を提供する作業所、憩いの場的な作業所が作られてきました。また、まったく新しい観点で、時間帯を昼間でなく夕方や夜間にずらす作業所や、利用者を依存症の方だけに絞ると言った作業所も現れました。
新しいタイプの作業所が増えるにつれ、次第に作業所ごとの役割を分業しようと言う動きが出てきました。世作連などでそれぞれの作業所の特色が話し合われるにつれ、「次はこういう作業所を作ろう」と提案が出てきたり、新しい利用希望者に対して「あなたはうちよりもあそこの作業所が合っているのではないか」と別の作業所を紹介したりもできるようになってきました。

22作業所時代(作業所ガイド作成と見学ツアー開始)

利用者のニーズに合わせての作業所作りは次々進み、平成10年から13年まで世田谷の作業所は22ヶ所となりました。
さまざまな作業所があることを知ってもらおうと、平成8年からは「作業所ガイド」作成が行われ、また、「作業所見学ツアー」が始まりました。1日で4〜5箇所の作業所を見学できるようになったのです。こうして、作業所利用希望者が自分のニーズに合わせて自分の入りたい作業所を選ぶことができるような体制が整えられてきたのです。

法人化、そして重層化する連携の時代へ

作業所は成立してからしばらくは任意団体が運営してきましたが、平成12年に社会福祉法が改正されて社会福祉法人が取得しやすくなりました。また、不況が進んで作業所の補助金も先細りしそうだとの予想する向きも現れました。この情勢を受けて、団体を安定化させようという動きが作業所内外から起こってきました。パイ焼き窯は、より大きな予算とサービスの提供できる通所授産施設を取得し、そのほかの作業所でも社会福祉法人化と小規模通所授産施設を取得するかどうかの話し合いがそれぞれで行われました。また、NPO法人を取得するところも現れました。
そのなかで、グループホーム連絡会や授産施設連絡会、地域生活支援センター連絡協議会など別のタイプの施設連絡会が成立してきました。平成15年には小規模通所授産施設が6ヶ所となり、これらが授産施設連絡会へと移行しました。これらの施設連絡会の代表者が4者協という団体を作って行政との話し合いを重ね、世田谷区における精神保健福祉はどのようにあるべきかを話し合ってきています。 こうして、時代の流れにあわせて各団体の法人化と、さまざまな連絡会の連携が実現してきたのです。

障害者自立支援法の時代に〜旧法と新法の混在の過渡期

平成17年に障害者自立支援法が成立し、障害者福祉は大きな変化を遂げようとしています。それまで「身体障害者福祉」「知的障害者福祉」「精神障害者福祉」と障害種別ごとに分かれていた障害者福祉が統合され、精神障害者福祉も同等に扱われるようになりました。また、この法律は障害者の就労を特に進めるための法律でもあり、「障害者就労移行支援事業」「障害者就労継続支援事業」などの枠組みができてきました。これに先んじて障害者雇用促進法も改正され、平成18年4月からは精神障害者も「法定雇用率」に参入され、精神障害者の雇用は進んでいこうとしています。
世田谷の作業所や授産施設は平成23年度までにすべて再編され、「障害者就労移行支援事業」「障害者就労継続支援事業」「地域活動支援センター」の事業の中からひとつ、または複数を選んで事業を行うこととなります。現在は経過措置の中にあり、どの施設がどの事業を行うかについては、世田谷区とも協議の上、区内にバランスよく、かつ利用者のニーズにこたえられるように事業やサービスを配置できるようなことも考慮しつつ、各施設検討中です。そして、移行の方向性が決まったところから順次移行することになっており、この作業所ガイドを作成している平成19年8月現在では、社会就労支援センターパイ焼き窯が先陣を切って平成19年4月に「就労移行支援事業」+「就労継続支援事業」に移行しています。そのほかの施設のなかも平成20年度からもしくは21年度からの移行を具体化させようとしているところがあります。
見方を変えていえば「新法=障害者自立支援法」に基づく施設と「旧法=精神保健福祉法」に基づく施設、さらに法律にのっとらない施設である作業所が混在している時期です。施設や利用したいサービスによって有料だったり無料だったり、利用期間が決められていたりいなかったり、障害区分認定調査を受ける必要があったりします。 これから作業所などの施設を利用される方は、ご自分がどんなことを目的としているのか今後数年間の計画をもとにサービスを利用していく必要があります。これらについては各施設でもご説明しますし、相談支援事業所と呼ばれる場所でもご説明を受けることができます。
いずれにせよ、作業所を中心としてはじまった世田谷区の地域精神障害者福祉は、さまざまな施設・サービスを生み、各種連絡会などのネットワーク化もすすんできました。そして障害者自立支援法という大きなうねりをうけとめつつ、利用者の皆さんのニーズに対応すべく、現在もいろいろと模索をおこなっているところなのです。

障害者自立支援法によるさまざまな事業

就労移行支援事業 

原則2年間で一般就労もしくは在宅就労できるよう訓練を行います。障害者自立支援法に基づく「訓練給付」のひとつであり、利用料が発生します。1日あたりの施設に対する給付はひとりあたり7500円程度で、利用料は原則1割ですから約750円程度です(所得に応じて上限あり)。

就労継続支援事業 

施設(作業所)において就労継続をおこない、一定以上の工賃を支給する事業。
雇用型(A型)という最低賃金を保証するタイプと非雇用型(B型)という最低賃金までは保証しないタイプとがある。利用年限は定められていない。「訓練給付」のひとつであり、利用料が発生します。一日あたりの施設に対する給付はひとりあたり4800円程度で、利用料は原則1割ですから約480円程度です(所得に応じて上限あり)。

地域活動支援センター

市町村の行う地域生活支援事業にあたり、障害者に日中の居場所を提供するとともに、料理等創作的活動をおこなうことができます。もちろん作業も行うこともあります。 利用料はそれぞれの市町村が決めることになります。
規模の大きいほうから、T型、U型、V型となっていて一日あたりの利用人数がそれぞれ20名以上、15名以上、10名以上と定められています。

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